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2007年11月01日

千歳烏山(ジャズ喫茶ロフト)の頃・・・平野悠

もういわゆる「表現空間」(ライブハウス?)作りを初めて30数年になる。
この間、私は、いつも店に来る「常連」とコミュニケーションする中であらゆる意味で
成長してきた。ロック音楽もフォークも、サブカルもみんなそばにいるお客さんから
教わった。
以下、その昔、私が烏山に7坪の「ジャズ喫茶ロフト」を出店したときの話だ。
もう随分前にどこかに書いた原稿だけれど、当時の初々しい27歳の私がそこにいる。
是非読んでください。続きはたくさんあるけど・・・みんなよんでくれるのかな?

<第一の手紙ーある音大生に宛てた手紙ー1972年2月>ー1

 今、僕は「銀パリセッション」のレコードを聴きながらこの手紙を書いています。

1963年深夜、当時戦後の著名なジャズメンがみんな麻薬や酒で演奏不能になってしまってもう日本のジャズは終わったと言われていた時代、もう一度みんなが「再起」しようと集まってレコーディングしたのがこの盤だったと僕に教えてくれたのは、確か君だったよね。

レコードを聴きながら「日本のジャズの夜明けはここからはじまったの」って熱っぽく語ってくれたのを今でも思い出します。

あと、菊池雅章と山下洋輔がこれからの日本のジャズ界の金字塔だと力説していたことも。
たしかにこの名盤に参加していたジャズメンは最初おどおどしてちょっと遅れがちに演奏に入ってゆくもどかしさというか、彼らの感激した思いがジンジン僕に伝わって来くる。

「ジャズは常に前衛的であらねばならない」だからジャズは面白い、「作曲と即興演奏」こそがジャズのエネルギーだと、クラッシックピアノを専攻している君がジャズへの熱い思いを語るのを、当時僕はとてもおもしろく聞いていた。ジャズ喫茶のマスターがまだ学生のお客さんにジャズを教えられていたなんて、今思うとひどく滑稽な感じだね。

 君とのおしゃべりが僕の空想癖の埋もれ火の息を吹き込んでくれて、全くおかしいくらいに、君が帰ったあといろいろな空想にふけっていたもんだった。

僕が大変な夢想家だって言うことを知らしめてくれたのは君だった様な気がします。

日常のふっとした瞬間、電車の窓から外の景色をぼんやり見ている時とか、本も読む気もなく人を待つ時間のあてどもない時間の流れの中で、当然の様にいろいろなアイデアが次から次に沸き上がって来て、思わず次の駅で降りて喫茶店に入ってノートするなんて事が良くあったな。

 君が通い詰めた「烏山ロフト」は次第にジャズだけでなくロックもフォークもかけるようになって、僕は今度君が店に来たらこのレコードを聞かせてやろうと待ちかまえていたものだ。

君が僕同様にロックやフォークに目覚めていく様は僕の密かな楽しみでもあったと思う。
 ところで、随分前にちょっと話したかも知れないけれど、僕は2軒目の店を作る事にした。
烏山ロフトだけの小さな空間では限界がありすぎて、やりたいことがたくさんある僕にとっては不十分と感じているからだ。

本当にできるかどうか解らない、というより自信なんてまるっきり無いんだけど、今度の店はレコードをかけるだけでなくて「ライブ」もできる空間にしようと思っている。

僕が烏山ロフトで君やその他のお客さん達から教わった「ジャズでもロックでもフォークでも勿論クラッシックや歌謡曲でもいいものはいい」と言った哲学をやっとこさ持ち得たわけだ。だから勿論ジャズもロックもフォークも演奏できる店にしょうと思っていて、できれば君にも新しい店でピアノを弾いて貰おうと思っている。

悲しいかなグランドピアノは高いし大きすぎてとても置けないけど、アップライトのピアノは買うことにしたからね。

 そんわけで僕は今とても燃えていて忙しい。だからいつものように君がお店に来る時間に僕が店にいることはなかなかできないので、こんな手紙を書くことになってしまったんだ。

今年の6月にはお店を出したいので、多分それまで会えそうもないけれど、招待状を出しますから開店パーティには是非来てくださいね。

コメント

この時代の悠さんや烏山ロフトは、当然のように知らないわけですが、今の悠さんと印象が微妙に(かなり?)違うのが、非常に興味深いです。
ある音大生と言えば条件反射のようにリュウイチ先生の顔が浮かんで来るので、以前おじさんの眼に書かれたエピソードも思い出しつつ重ねて読んでいると、見たことの無い店のカウンター越しに、若かりし悠さんと音大生氏が会話している姿が浮かんで来て、読んでて楽しいです。
忙しい中で続きを書かれるのは大変だとは、、、と書いててふと思うのは、ワーカホリックみたいなもので、忙しさのあまり真逆な行動に出たのかな?とも考えられるのですが、それはそれで面白いものを読ませてもらえば結構な事だと思ってますです。

ありがとう。我が永井師。

この手紙の主人公は坂本龍一ではなく、桐朋音大の美少女でした。

この時代坂本は、芸大全共闘やっていて、夜は銀パリでピアノ弾いていて、それが終わってから烏山ロフトで飲んでいた。

そっか烏山は仙川の隣だもんね。
ちなみに俺国立にある桐朋の男子校に中一から高一まで通っていたので、女子部の文化祭に行ったりとかで仙川にはよく行ってました。
ちなみに女子部の知り合いでいっこ上の先輩に浅茅陽子がいます。
うっ青春時代を思い出しちまったぜ(藁(涙
あっ男子校高一で退学になりましたとさ(藁

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